There was a person who was performing the Yorozuyo and 12 dances on Facebook. This is what I told him:
I commend you for your efforts. My mother who passed away recently performed the 12 dances on a regular basis, especially when anyone had illness or sufferings. I still remember the Bishop telling us that one must perform the dances without error for God’s blessings. But is this what God wants for us to perform a Service that will take over one hour of our time? How difficult would it be for a non Japanese person to perform? Why are we dancing in front of God, and repeating what God has told us? Why are we not spreading God’s teachings that are in the Ofudesaki?
I believe Oyasama made the Yorozuyo and 12 dances to help the early followers understand God’s teaching. It is a summary what is in the Ofudesaki. Is it pertinent today? To some, I believe it reinforces their commitment to God. But for most people, it is one hour of reciting, and going through with the motions of the dance. For me, it was alway trying to copy the person next to me, so I would not embarrass myself.
What is the solution? I feel like instead of performing this Service, we should go out to our neighbors to spread the teachings that are in the Ofudesaki, especially about the soul, pure mind, and God’s guidance that may appear. We should be performing the Youki-tsutome, as it is a prayer asking God to convince the people we have spread the teachings. It is this special prayer that will save the world, as God will begin to place illness as guidance to help people understand the soul. They will come to our places of worship to be healed of their illness. This is where the Osazuke performed with a pure mind will heal their illness. This is how the teachings are spread to the world.
あなたのご努力には敬意を表します。
最近亡くなった私の母は、普段から十二下りをよく勤めていました。特に、誰かに病気や苦しみがある時には、必ずといっていいほど踊っていました。
今でも覚えていますが、ある時、教会長さんから「神様のご守護を頂くには、一つも間違えずに十二下りを勤めなければならない」と言われたことがありました。
しかし、本当に神様は、私たちが一時間以上もかかるおつとめをすることを望んでおられるのでしょうか。
日本人でない人にとって、それを勤めることがどれほど難しいことでしょうか。
なぜ私たちは神様の前で踊り、神様から教えられたことを繰り返しているのでしょうか。
なぜ『おふでさき』に書かれている神様の教えを、もっと人々に伝えていないのでしょうか。
私は、おやさまが「よろづよ」と十二下りをお作りになったのは、初期の信者たちが神様の教えを理解しやすくするためだったのだと思っています。
それは『おふでさき』に書かれている内容をまとめたものだと思います。
では、それは今の時代にも必要なのでしょうか。
人によっては、神様への信仰心を強めるものになっていると思います。
しかし、多くの人にとっては、ただ一時間、文言を唱え、形だけ踊っているに過ぎないのではないでしょうか。
私自身も、間違えて恥をかかないように、隣の人の動きを必死に真似していただけでした。
では、解決策は何でしょうか。
私は、このおつとめを勤めることよりも、近所の人たちの所へ出向いて、『おふでさき』に書かれている教え、特に魂のこと、澄んだ心のこと、そして現れてくる神様の導きについて伝えていくべきだと思います。
そして、陽気づとめを勤めるべきです。
それは、私たちが教えを伝えた人々の心を、神様に納得させていただくための祈りだからです。
この特別な祈りによって世界は救われ、神様は人々に魂を悟らせるための導きとして病をお与えになるようになります。
そして人々は、その病を治してもらうために、私たちの礼拝の場へとやって来るでしょう。
そこで、澄んだ心で取り次がれるおさづけによって、病は治されるのです。
これが、教えが世界に広まっていく姿だと思います。
最近亡くなった私の母は、普段から十二下りをよく勤めていました。特に、誰かに病気や苦しみがある時には、必ずといっていいほど踊っていました。
今でも覚えていますが、ある時、教会長さんから「神様のご守護を頂くには、一つも間違えずに十二下りを勤めなければならない」と言われたことがありました。
しかし、本当に神様は、私たちが一時間以上もかかるおつとめをすることを望んでおられるのでしょうか。
日本人でない人にとって、それを勤めることがどれほど難しいことでしょうか。
なぜ私たちは神様の前で踊り、神様から教えられたことを繰り返しているのでしょうか。
なぜ『おふでさき』に書かれている神様の教えを、もっと人々に伝えていないのでしょうか。
私は、おやさまが「よろづよ」と十二下りをお作りになったのは、初期の信者たちが神様の教えを理解しやすくするためだったのだと思っています。
それは『おふでさき』に書かれている内容をまとめたものだと思います。
では、それは今の時代にも必要なのでしょうか。
人によっては、神様への信仰心を強めるものになっていると思います。
しかし、多くの人にとっては、ただ一時間、文言を唱え、形だけ踊っているに過ぎないのではないでしょうか。
私自身も、間違えて恥をかかないように、隣の人の動きを必死に真似していただけでした。
では、解決策は何でしょうか。
私は、このおつとめを勤めることよりも、近所の人たちの所へ出向いて、『おふでさき』に書かれている教え、特に魂のこと、澄んだ心のこと、そして現れてくる神様の導きについて伝えていくべきだと思います。
そして、陽気づとめを勤めるべきです。
それは、私たちが教えを伝えた人々の心を、神様に納得させていただくための祈りだからです。
この特別な祈りによって世界は救われ、神様は人々に魂を悟らせるための導きとして病をお与えになるようになります。
そして人々は、その病を治してもらうために、私たちの礼拝の場へとやって来るでしょう。
そこで、澄んだ心で取り次がれるおさづけによって、病は治されるのです。
これが、教えが世界に広まっていく姿だと思います。